加藤健二郎と御縁あって、今日は『鍋島藩』のお浚いです。
↓↓↓↓
私の御先祖様研究に出てきたのがこの『鍋島藩』、
母が口にした言葉が、正に佐賀の鍋島藩でした。
母曰く、この藩が直系だそうだ。
鍋島藩と言えば、直ぐ『化猫騒動』と『葉隠論語』を思い出すが、
実は、鍋島藩は国の為、世の為に
非常に役に立つ仕事と業績を残した藩であったのだ。
鍋島藩は明治維新で華々しく舞台に登場しなかったものの、
幕末の早期からオランダ式軍事技術を導入。
大砲の鋳造や洋式軍艦の建造を行い、
縁の下の力持ち的役割を常に果たしてきました。
また、芸術面では、鍋島藩窯を築いて肥前の色絵磁器育成に
多大なる貢献を施したしたことが挙げられるでしょう。
驚くことにこの日本の焼き物文化は
ドレスデンの陶磁器やマイセンに多大な影響を与えたそうだ。
ヨーロッパの陶磁器の歴史を探ってみると多くの美術館や博物館に
日本の古伊万里焼や柿右衛門様式を見つけることができる。
オランダの東インド会社が
300万個以上の伊万里焼を西洋に運んでいる記録がある。
これまでは鍋島本家が自ら所有する『鍋島内庫書』の文献が、
鍋島藩窯のことを語る大きな手掛かりとなっておりましたが、
近年では、佐賀県立図書館に保管されている
2代鍋島藩主、鍋島勝茂や3代鍋島藩主、鍋島光茂らの古文書が
徐々に解明されて非常に面白い展開になってきました。
李参平の有田白磁発見より約数年前、1600年頃に
鍋島藩は佐賀で焼き物の研究をすることを提案したのである。
鍋島勝茂は1628年に、京都の浪人副田喜左衛門日清を招いて、
有田の岩谷川内に藩の『御道具山』を開設しました。
これが鍋島藩窯の始まりであり、
『鍋島青磁』と言われる焼き物の誕生であったのです。
その後、鍋島藩は、窯業振興策に積極的に乗り出し、
有田皿山を統括し、山林の乱伐を規制し、
強力な保護督励の施策を取っていきました。
江戸末期まで約250年続いた事業も、
1851年には、鍋島藩自体が、長崎に佐嘉商会を設けたため、
焼き物商取引は、国内のみならず海外取引にまで発展していきました。
明治維新後は廃藩置県の新制度下に入ったため、
数々の名品を作り出した鍋島藩窯も終止符を打ち、
それ以後は、民窯へと移行していきました。
九州では現在でも窯場が多くみられ、その文化と歴史が
その地域に深く広く根付いているといっても過言ではありません。
ここでもやはり京のお人登場、これぞこの世の七不思議!!!
今日も一つお利口さんになりましたとさ。
めでたし、めでたし!!!
裕美・ルミィヤンツェヴァ
トド 2008年04月25日 21:16 当家の家紋は「鍋島茗荷」です。
ragtimema 2008年04月25日 22:04 トドさま、
これもきっと何かの御縁なのでしょうね。只今長野ツアー企画中ですし・・・いつしかお会いできる日を心より楽しみにしておりますので、今後も何卒宜しくお願い致します。
裕美・ルミィヤンツェヴァ
カトケン東長崎 2008年04月25日 23:27 うちの家計が鍋島藩であることが判明したのは、ここ数年のことなんですよ。父親が会社辞めて、ヒマになったということで、先祖の氏名をいろいろ趣味で調べ始めたのです。我が家は、薩摩藩ということになっていたのだが、先祖の氏名は、薩摩には無い名前ということで、いろいろ調べていくと、佐賀県鍋島藩に多い名前だということがわかったのです。
では、なぜ、薩摩の家系図があったのかというと、どうも、鍋島藩からの脱藩浪人だったようで、身分を隠して横浜に住んでいたようです。鍋島藩の脱藩者は、他の藩に比べると、身元がバレることがキケンだったとのことのようで、薩摩藩になりすましていたのではないか、と、あくまでも推測の域ですが。
ragtimema 2008年04月25日 23:56 カトケン東長崎さま、
私の研鑚とお父様の研鑽がどうやらシンクロしていたようですね。私の研鑚開始もそもそも祖母が他界してからですからここ2年くらいのことです。『はまっこ』なのに長崎の血が半分で横浜の血はゼロ????これぞこの世の七不思議!!!
横浜には鎌倉街道が4本も走っているので、幕府の因縁とか多々の因果関係で『霊的びびびっ』で呼び寄せられている人は多いと思います。私の父と母が正にそうでした。
加藤氏は私の研鑚範囲によく出てくる名前でしたので、随時注意を払っておりましたよ。そういえば朝鮮の2王子を捕らえていたのも鍋島藩の加藤氏でしたね。
裕美・ルミィヤンツェヴァ
http://plaza.rakuten.co.jp/ragtimema/