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ちょうどお昼だったので、最初にAさんが連れていってくれたのは、県庁裏手の東町にある「ダウラ」。紅茶専門店ながら、休日の昼はカレーを出すとのことで頂きました。スパイシーな辛さですが後味はすっきりな感じ。セットのミルクティーとのバランスもいいものでした。県庁の裏手一帯というのは久松山(きゅうしょうざん)の麓にあたります。半世紀以上前の2度の大火などで古くからの建物はだいぶ失われているものの、城跡などの史跡や寺社、いくつかの学校があって、城下のいわゆる山の手的な雰囲気は今も残っている様子。長田神社への参道沿いにある「ダウラ」も、そんな中にあって地域のサロンとなっているようです。ちなみに店名はヒマラヤの高峰ダウラギリから取ったとのこと(「白い」の意味)。一息ついた後は、山麓東側をかいつまんで見物。樗谿神社は鳥取の東照宮で、周囲の公園はホタルも出る市民のオアシス。鳥取藩は外様ながら、藩祖の光仲が徳川家康の外孫にあたるため、日光から分祀したのだそうです。三つ葉葵の紋が使われていました。興禅寺はその光仲の菩提寺で、17世紀末に黄檗宗に変わったという寺。作者未詳ながら、江戸初期に造られたという立派な庭があります。片隅にはキリシタン灯籠も。次いで旧国府町へ。文字通りですが、因幡国の国府が置かれていた地。城から5km以上離れたこの場所に、鳥取藩主池田家の墓所があります。墓標の下には三段の台石と亀趺(きふ・亀をかたどった台石)が置かれた格式高いもので、初代から11代までの墓が集まっている(ほかに、藩主夫人、分家歴代、なども)のはなかなか壮観です。墓所のすぐ近くには宇倍神社があります。因幡国の一の宮で、日本で初めて「大臣」の称号が与えられた武内宿禰(たけのうちすくね)を祭っています。武内宿禰は5代の天皇に仕え、360歳を越えるまで生きたといい、本殿裏手の丘がその昇天した場所なのだそうです。武内宿禰は5回もお札になっていて、一円券は現在でも有効だそうです(日本銀行のページ)。宇倍神社も一緒に何度か描かれていて、五円券をモチーフにした御守が、商売繁盛、金運上昇に効験ありとして人気だそうです。また、因幡国というと、大伴家持が40を過ぎて赴任したところでもあり、天平宝字3年(759・因幡に移った翌年)の新春に因幡国庁で詠んだ歌は万葉集の一番最後に収められていて、歌碑も立っています。夕方も近くなり、最後に訪れたのは賀露(かろ)港。市街に一番近い港で、鮮魚や海産品を販売する店、食事処も多数あります。海鮮市場「かろいち」の隣にある「かにっこ館」で、世界のさまざまなカニをはじめ、見た目は愛嬌のあるクサウオ、ハタハタやサメの卵、など珍しい魚介を見物しました。そしていよいよ食べる方のカニ、です。(その5 につづく)
半年ほど前に買ったCDのブックレットをふと開いたら、「宇倍神社」の文字を発見しました!作曲家の伊福部昭(1914-2006)というと、一番有名なのは「ゴジラ」のテーマかもしれませんが、北海道・釧路に生まれ、北海道帝国大学林学科を出て厚岸で林務官となるかたわら、作曲を独学で修め、コンクールに入賞して世に出た人でもあります。その伊福部昭の父・利三は、因幡の豪族・伊福吉部(いふきべ)氏の66代目に当たるそうで、代々神官を務めていたのが明治維新によって変わり、新天地を求めて北海道に渡ったとのこと。伊福部昭の本籍は鳥取県岩美郡宇倍野村宮下だそうですし、釧路市には「鳥取町」があります(もとは1884年に移住者で作られた鳥取村)。ちなみにそこから100kmほど帯広寄りの池田町も、旧鳥取藩主の池田侯爵が開いた池田農場が地名の由来となっています。「譚 ― 伊福部昭の芸術1 初期管弦楽」